2006年7月11日 (火)

千本通り 石像寺

苦しみを抜く「苦抜き地蔵」が転じて「釘抜地蔵」となった。正式名称は石像寺。腰痛・肩こりにご利益があるそうです。又、お堂の中の燈明には逆卍が刻まれています。これが本来の仏教では正式と言われています。
 
「インドでは卍は太陽の象徴であり、右回りの卍(いわゆる逆卍)は昼間であり光明を表し男神に用いた。そして左回りの卍(日本で一般的な卍)は夜間であり破壊を表し、女神に用いていたが、仏教にも吉祥の記号として取り入れられ、仏様の胸や手足、頭髪に現れるとされている。中国では集合の意味とされたが、そこでは右回り、左回りが混在したが、書きやすさから現在の卍が広まったと考えられている。」(朝日新聞2005年5月29日付朝刊のコラム)
 
千本閻魔堂から千本通りを東へ渡り、上立売通り手前です。徒歩約2分

境内自由

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2006年7月10日 (月)

千本通り 上品蓮台寺

じょうぽんれんだいじ。上品とは極楽での位を示している。極楽浄土は上品・中品・下品の三段階に分かれており、死出の旅に向かう者にとり、上品蓮台寺は有りがたい寺なのだそうです。ただし、上品の位をもらうには、引接寺で閻魔大王の裁きを受け、無罪?の者だけが上品蓮台寺に送られるそうな。枝垂れ桜の木も今は青々としています。紅葉はどういった感じなのでしょうか。この秋も楽しみです。

境内自由

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2006年7月 7日 (金)

堀川通り 水火天満宮

923年、都の水害、火災を鎮める為に、醍醐天皇の勅願で、菅原道真を勧請し建てられた。社名は道真の神霊が火雷となって大雨を降らせたことに由来している。火難・水難除けの神として信仰を集める。境内には迷子が無事に戻るといわれている管公登天石がある

本法寺から堀川通りを北へすぐ

境内自由

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2006年7月 6日 (木)

堀川通り 本法寺

叡昌山と号し、永享八年(1436)日親上人の創建する日蓮宗本山の一つで、本阿弥家の菩提寺である。天正年間に秀吉の命により現在地に移った。写真は光悦お手植えの松といわれています。

晴明神社から今出川通りまで走って、信号を右(東)に渡ってください。堀川通りの東側を走って到着。徒歩約4分

境内自由

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2006年7月 5日 (水)

堀川通り 晴明神社

平安時代中期、陰陽道の大家 安倍晴明(921-1005)の邸であり、没後晴明を祭ったのがこの神社の起こりとされている。鬼や式神(陰陽師が操る精霊)を自由に操ったとされる安倍晴明は実在の人物であったが、その生誕は謎で、実の母親も明かでない。白狐が実の母親であったなどのエピソードは晴明が如何に恐るべき霊力の持ち主であったかを物語るものかもしれませんね。

境内自由

JR京都駅から市バス9番で一条戻り橋下車、すぐ

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堀川通り 左女牛井 さめがい

源氏堀川邸の井戸と伝えられ、京都三名水の一つ。現在は石碑を残すのみです。かつては、茶人村田珠光も茶の湯に用いたという。因みに堀川通の程近くに醒ヶ井(さめがい)通りがあります。この井戸にちなんで名づけられました。醒ヶ井通りを北上し、四条通りを渡ったところにある和菓子屋亀屋良長では社屋改築の折り豊富な地下水が涌き出た。現在、醒ヶ井と呼んで菓子製造や飲用水に用いられているとのことです。

村田珠光(1422~1502)
室町中~後期の茶匠。確かな伝記はわかりませんが、奈良の出身で、はじめ僧侶であったとも伝えます。後に京都に住み、京都六条堀川西に4畳半の茶室を営み,佗び茶を創始したとして有名。

興正寺から堀川通りを北上、西本願寺を通り過ぎて到着、徒歩約2分

Zip1451samegai


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2006年7月 4日 (火)

堀川通り 興正寺

円頓山と号する真宗興正寺派の本山で、その草創については、異説が多いが、 元応二年(1320)了源が山科に一宇を創建し、興正寺と称したのが始まり。十四世径豪は本願寺蓮如に帰依したが、その後、本願寺と論争を生じたことから不和となり、 明治九年(1876)に分離独立した。

境内自由

西本願寺の南隣です。

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2006年7月 3日 (月)

烏丸通り 蛤御門

禁門の変では、この門が最大の激戦地となり、現在の門にも当時の弾痕が数多く残っている。新在家御門ともいわれ、元は開かずの門であった。天明の大火の際初めて開けられたので「焼けて口あく蛤御門」といわれた。

禁門の変―1864年7月、京都での尊王攘夷派の勢力挽回を策した長州軍と京都を守る会津・薩摩藩を中心とする公武合体軍との武力衝突を禁門の変といい、元治甲子の変または蛤御門の変ともいう。この時飛び火した火の手は、洛中の3分の2を焼く「どんどん焼け」となり、市民に大きな損害を与えたといわれている。

瑞春院から烏丸通りを南下、今出川通りを越えて、京都御苑の西塀沿いを走り、3つ目の御門です。徒歩約5分

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烏丸通り 瑞春院

相国寺山内の塔頭瑞春院は、足利義満公が雪村友梅禅師の法嗣太清宗渭(タイセイソウイ)〔相国寺第四世住持〕を相国寺に迎請するため、その禅室として雲頂院を創設。 その後雲頂院は兵火で罹災し瑞春軒と併合。瑞春軒は蔭涼軒日録を編集した僧録司の権威、亀泉集證(キセンシュウショウ)が文明(1484年)に創設するも、三百余年後の天明年間に寺宇は焼失。弘化から嘉永まで(1845年~1849年)の間に再建され、 その後客殿を棄却したが、明治31年(1898年)6月再興完成し、今日の瑞春院にいたる。因みに瑞春院は、亀泉集證、鈴木松年、水上 勉氏など文人墨客ゆかりの禅院でもある

「水上 勉と雁の寺」
直木賞作家 水上 勉氏は9歳の時、瑞春院で得度し13歳まで雛僧時代を禅の修行に過ごしたが、ある日突然寺を出奔。諸所を遍歴し文筆活動に精進。昭和36年(1961年)出版の小説『雁の寺』はベストセラーとなり名声を博した。雁の寺の小説は瑞春院時代の襖絵を回顧し、モデルとしたことから瑞春院は別名を『雁の寺』ともいう。今も雁の襖絵八枚が本堂上官の間(雁の間)に当時の儘に残っている。

慈照院から烏丸通りに戻って南下、上立売通りの信号を左折(西)、相国寺西入り口を入ったところです。徒歩約2分

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2006年7月 1日 (土)

烏丸通り 慈照院

臨済宗相国寺派に属し、もとは大徳院と称した。延徳二年(1490) 足利義政の塔所影堂となり、その法号より慈照院と改めた。茶室は千宗旦(利休の孫)が智仁親王のために創設し、俗に宗旦好みの席といわれる。床間には宗旦に化けた狐の伝説で知られる宗旦狐の掛け軸がある。

大聖寺から烏丸通りを北上、二つ目の信号を東へ渡り、下之町通り(烏丸中学の北側)を東へ入って到着。徒歩約2分

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2006年6月30日 (金)

烏丸通り 大聖寺

岳松山と号する臨済宗相国寺派に属する門跡尼院で、御寺御所という。当寺の開基は光厳天皇の后で、天皇崩御御、尼となられた無相定円禅尼で足利義満は室町邸内に岡松殿を建てて尼公の安禅所とした。尼公の没後、遺言によって寺とし、大聖寺と号した。

護王神社から烏丸通りを北上、今出川通りを越えて到着。徒歩約12分

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烏丸通り 護王神社

平安京造営に力を尽くした和気清麻呂とその姉広虫を祭る。和気清麻呂とは769年天皇の位を狙う僧弓削道鏡を宇佐八幡宮のご神託によって失墜させた人物。道鏡の恨みを買い、暗殺されそうになったが、その時300頭もの猪が現れ清麻呂を守ったと伝えられている。そこで、猪が神の使いとされ、狛犬のかわりに狛猪が鎮座している。

境内自由

菅原院天満宮から烏丸通りを北上して到着。徒歩約4分

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2006年6月29日 (木)

烏丸通り 菅原院天満宮

道真とその父、是善を祭る。当地にはかつて是善の邸宅菅原院があったので、道真降誕の地といわれる。道真没後、その菩提を弔うため、歓喜光寺が建立され、境内に小祠を建て父子を祭った。境内には道真公産湯の井戸がある。

地下鉄烏丸線丸太町駅下車、徒歩約2分

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2006年6月28日 (水)

間之町通り 文子天満宮

道真公が大宰府左遷に際し、自分の姿を彫刻し乳母多治比文子に与え、文子が道真の死後自宅に小祠を建て、この像を祭ったことに始まるという。学問・開運・無病息災・子供の守り神としての信仰が厚い。北野天満宮境内にも文子天満宮があります。

渉成園から間之町通りを北へ徒歩約1分

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2006年6月27日 (火)

間之町通り 渉成園

東本願寺の別邸。その周囲に枳殻(からたち)を植えたところから枳殻(きこく)邸とも呼ばれ、また、東本願寺の真東にあたるので東殿・東園ともいう。200メートル四方の広大な地を有する。本願寺十三世宣如上人が徳川家光から与えられ、承応二年(1653)石川丈山(詩仙堂に隠居)と謀って庭園を築いた。印月池、漱枕居、傍花閣など見所が多数。これで無料はお得ですね。

長香寺から高倉通りを南下、突当たりが渉成園の北塀です。突当たりを右折、一つ目の通り(間之町通り)を左折して正面入り口に到着。約10分

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2006年6月26日 (月)

高倉通り 長香寺

浄土宗。常称山号する。本尊阿弥陀如来。慶長年間(1596-1615)徳川家康の側室 於古知也の本願により、信誉称阿を開山として創建。寺名は於古知也の法号長香院にちなむ。中井家の菩提寺。中井利清の娘が八代将軍吉宗を産んだことから幕府の援助を得る。所蔵の絹本著色観空経一六観変相図は重要文化財。

大行寺から高倉通りを南下、松原通りを越えて到着。徒歩約5分

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高倉通り 大行寺

仏光寺塔頭。寺宝の阿弥陀立像は重要文化財。寄木造、玉眼入の来迎の弥陀で、足柄に巧匠法眼快慶の墨書銘があり、快慶流阿弥陀像の典型的な像である。

京都文化博物館から高倉通りを南下、 四条通りを越えて突当たり(仏光寺)を左折して到着。徒歩約12分

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2006年6月23日 (金)

高倉通り 京都文化博物館

平安建都1200年事業の一つとして1988年に建てられました。京都の歴史博物館、京都で活躍している日本画家、洋画家、彫刻家などの常設展示場となっています。写真は日銀京都支店をもとにして作られた別館です。

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富小路通り 長講堂

もと後白河法皇が仙洞御所に営まれた持仏堂で正式名を法華長講弥陀三昧堂という。法華経を永遠に讚し、阿弥陀仏を念じて三昧に入る道場という意味である。寿永二年(1183)法皇が六条西洞院の平業忠の邸に移られたのでこの堂もそこに移建され六条長講堂と呼んだ。再三火災のため寺地を転々としたが、天正六年(1578)に現在地に移った。後白河法皇木像など重要文化財に指定されている。

<過去帳>
祇王や義経の名が見受けられるという。

通常は拝観不可。要予約075-351-5250

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2006年6月21日 (水)

富小路通り 白亳寺

聖徳太子立像を安置する真言律宗の寺。もと知恩院の境内にあったが、慶長年間にこの地
に移った。別名、塩釜太子堂という。

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富小路通り 極楽寺

浄土宗。本堂に安置する地蔵尊には、安産・矢負・手引の3つの名前がある。

<安産地蔵>
源頼朝の室「丹後の局」が紀州和歌山へ赴く途中、当寺地蔵尊に祈って島津三郎忠久を産んだことに由来します。

<矢負地蔵>
島津忠国(室町初期の守護大名)は参詣に立寄った時、敵と間違えられて矢を射掛けられたが、地蔵尊がその矢を負うて難を逃れたことに由来します。

<手引地蔵>
天正年間の頃、迷子になった子供を手引きし無事に帰宅させたことに由来します。

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2006年6月19日 (月)

寺町通り 空也寺

紫雲山と号し、極楽院または光勝寺ともいう空也上人ゆかりの寺であるが、浄土宗に属する。本堂には空也上人像を安置している。境内釈迦堂に安置する釈迦銅像は古来、おこりの平癒祈願の信仰がある。

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2006年6月16日 (金)

寺町通り 聖光寺

建久八年(1197)浄土宗二世聖光上人が開創し、文禄年間に良阿上人によって再興された。境内墓地には赤穂浪士大石良雄の母および天野屋利兵衛のモデルといわれる錦屋善右衛門一族の墓がある。

錦屋善右衛門―京都烏丸通りの呉服商。「赤穂浪士に対し金銭的な援助を行った」と伝えられていますが、真偽は不明といわれている。

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寺町通り 浄教寺

多聞山燈籠堂と称する浄土宗の寺。平重盛が建立した東山燈籠堂をついだ寺といわれる。本堂には阿弥陀三尊および重盛の像を安置する。境内には重盛の碑があり、鎮守堂には重盛が勧請した熊野権現が祭られている。

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2006年6月15日 (木)

寺町通り 春長寺

本能寺の変で織田信忠(信長の嫡男)に従って戦死した村井長門守貞勝の菩提を弔うため、天正十一年(1583)貞誉上人を請じて建立した浄土宗の寺。貞勝の号、春長軒に因んで寺名とした。貞勝の墓がある。

寺町通四条下ル

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2006年6月14日 (水)

寺町通り 天寧寺

萬松山と号する曹洞宗永平寺派の寺で、もと会津城下にあったのを天正年間に現在地に移転した。本尊釈迦如来像。山門前より境内をへだてて眺める比叡山はあたかも額に入れたように見えるので額縁門として有名である。

境内自由

西園寺北隣です。

Zip2221tennneiji


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寺町通り 西園寺

賓樹山と号する浄土宗の寺で、西園寺家の菩提寺である。承久の乱後、鎌倉幕府に推されて太政大臣となった藤原公経は元仁元年(1224)北山の別業内に一宇を造営し、西園寺と号したが、これがのちに子孫の家名となった。

十念寺から北へ徒歩約6分

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2006年6月13日 (火)

寺町通り 十念寺

華宮山と号する浄土宗の寺。永享三年(1431)に足利義教が真阿上人(後亀山天皇皇子)のため、誓願寺中に一宇を建立し、上人の住房にしたのが起こり。本尊阿弥陀如来坐像丈六(約4.8メートル)。寺宝としては一休禅師の筆とつたえる紙著色仏鬼軍絵巻(重要文化財)がある。
 
仏陀寺の北隣です。

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2006年6月12日 (月)

寺町通り 仏陀寺

大蔵院と号する浄土宗の寺で、朱雀・村上両天皇を開基とする古刹である。寺名は朱雀天皇の法号(仏陀壽)にちなんで付けられた。中世までは京都御苑内東南あったが、秀吉の命で現在地に移転した。本尊阿弥陀坐像は鎌倉時代の作で、重要文化財。

本満寺から寺町通りを北へすぐ

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2006年6月 9日 (金)

寺町通り 本満寺

広布山と号する日蓮宗本山の一つである。当寺は慶永十七年(1410)近衛道嗣の息子日秀上人が父の邸内に一宇を建て広宣流布山本願満足寺と号してのが起こりと伝える。江戸時代徳川吉宗の病気平癒を祈願した頃より、徳川家累代の祈願所となった。

境内自由

JR京都駅から市バス205番,17番で河原町今出川下車、寺町通りを北へ徒歩約3分

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寺町通り 本禅寺

当寺は本国寺の日陣上人が応永十三年(1406)に四条堀川に創建した光了山と号する法華宗本成寺派の本山である。本堂には本尊法華題目釈迦多宝仏を安置し、釈迦堂には日蓮上人の念持仏とつたえる金銅釈迦立像を安置する。また、鐘楼にかかる銅鐘は慶長十一年(1606)豊臣秀頼が大阪の法安寺に寄進したもので、家康が大阪の陣に際してこれを陣鐘に用いたといわれ、それをのちに大久保彦左衛門が拝領して当寺に納めたとつたえる

境内自由

清浄華院から北へすぐ

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2006年6月 7日 (水)

寺町通り 下御霊神社

大同二年(809)不運のうちになくなった伊予親王(桓武天皇の皇子)とその母藤原吉子の霊をなだめるため、承和六年(839)に創建されたといわれている。祭神は後に、早良親王、吉備真備などを加えて八柱としている。幾度か社地を転々として天正18年(1590)豊臣秀吉の都市整備により現在の地に移転してきた。

境内自由

JR京都駅から市バス17番で河原町丸太町下車、丸太町通りを西へ行き、寺町通りを南へ徒歩約2分

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寺町通り 行願寺

通称革堂(こうどう)。革(かわ)は鹿の革を指す。 開祖の行円上人は、猟師であった壮年時代の頃、1頭の鹿を射止めたが、そのおなかには血だらけの子鹿がいた。それを見て殺生の仕事を悔い、仏門に入ったといわれている。母鹿の革を身にまとい、人々に読経を勧め、いつしか革上人と呼ばれるようになった。上人が建てたお堂は一条天皇の勅願によるものだったので、一条革堂といわれ、いまでも革堂と親しまれている。西国三十三ヶ所観音霊場第十九番目の札所。

<ご利益・無病息災>
本堂には都七福神の一人、南極寿星寿老人を祭る。寿老人は長寿宝杖を手に持つ長寿の神様で、福寿吉運を祈る人々で賑わっている。

境内自由

本能寺から北へ徒歩約6分

Zip2211kodo


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2006年6月 6日 (火)

寺町通り 本能寺

寺は応永二十二年(1415)日隆上人によって創建された本門法華宗の大本山で、はじめ五条坊門にあって、本応寺と号したが、天文十四年(1545)に、油小路蛸薬師の地に移った。この地で天正十年(1582)、織田信長が家臣明智光秀に襲撃され自刃した。いわゆる本能寺の変である。現在地へは秀吉の区画整理によって天正十五年(1587)年に移転した。

矢田寺から寺町通りを上がって、すぐ

Zip2211honnoji

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2006年6月 5日 (月)

寺町通り 矢田寺

796年、大和の国郡山の矢田寺を模して満米上人と閻魔大王の使者小野篁(おのたかむら)によって五条坊門に建立されたが、応仁の乱で炎上。その後1597年に現在の地に移転されました。正式名称は浄土宗矢田山金剛寺。本尊の地蔵菩薩は人間の地獄の苦しみを代りに受けておられ、安産守護、子孫繁栄、病気平癒の霊験があるといわれています。境内にある送り鐘を撞くとあらゆる苦が逃げて行き、仏の加護を念じている人だけに楽しいことが残るといわれている。

<ご利益・縁結び>
本尊・地蔵菩薩は別名「愛の願掛け地蔵」ともいわれ、縁結びのご利益がある

寺町三条上ル

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